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空襲で消えた国民学校(此花区)

 1945(昭和20)年の空襲は、此花区の学校にも被害をもたらした。 特に此花区は住友金属などの軍需工場があったため、繰り返し爆撃された。
3月14日の空襲では、全焼 中春日出 半焼 春日出
6月1日の空襲では、全焼 朝日 恩貫島 半焼 四貫島、梅香、酉島、島屋
6月7日の空襲では、半焼  西九条
6月15日の空襲では、半焼 高見
6月26日の空襲では、全焼 高見
7月24日の空襲では、半焼 桜島
校舎は残ったものの校区が焼き尽くされ子どもたちがいなくなり休校とされた学校もある。此花区では、ここに紹介する学校が消えていった。

 恩貫島国民学校

 6月1日の空襲で全焼。島屋校に統合されて廃校。今の梅香中学校の場所にあった。梅香中学校の正門横に碑がある。1945(昭和20)年、中部軍第4120部隊がいた。

桜島国民学校

 

 7月24日の空襲で半焼した。島屋校に統合。戦争中は日立造船が借り上げ、屋上に高射砲部隊がいたという。JR桜島駅の東側あたり。このへんは西六社といわれた巨大工場がならぶ地域だったが、USJができるなど完全に変わってしまった。昔のおもかげは何もない。

朝日国民学校

 6月1日の空襲で全焼、今は市営春日出中第2住宅になっている。団地の南側をJR桜島線が走る。

中春日出国民学校

 3月14日の空襲で全焼。今は大阪市営梅香住宅団地になっている。高等科単独の学校だった。

参考にした図書
・「消えたわが母校 なにわの学校物語」 赤塚康雄著、柘植書房
・「続 消えたわが母校 なにわの学校物語」 赤塚康雄著、つげ書房新

【参考にした本】
「大阪市学童集団疎開地一覧(上)」大阪市史史料第45輯 平成7年 大阪市史編纂所
「大阪の学童疎開」赤塚康雄 クリエイティブ21 1996


案内人 柏木 功

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