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軍艦最上(もがみ)のマスト

 中之島・剣先公園にある。「旧軍艦「最上」前橋及び後艦橋」とプレートがつけてあるが、それが船のどこなのかはよく知らない。1910(明治43)年に「通報鑑」として建造された軍艦で、第1次大戦では中国青島のドイツ軍攻撃に参加、シベリア出兵にも出動した。日本初のタービン鑑で三菱重工長崎造船所で作られた。通報鑑というのは、水雷を装備した外洋型の快速鑑で艦隊間や停泊地との連絡に使われた。無線通信の発達と共に「通報」の役割は減っていった。1928(昭和3)年に廃艦となり、大阪の在郷軍人会に払い下げられ、1929年、大阪市に寄付。日の丸を掲げて戦意高揚に使われたという。

 太平洋戦争時にも「最上」の名の巡洋艦(軽巡洋艦から重巡洋艦へさらに航空巡洋艦に改装)があるが、これは1944年10月24日、レイテ沖海戦で沈没した。自衛隊は練習鑑に「もがみ」という名を付けている(元護衛艦)。


案内人 柏木 功

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