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空襲で消えた国民学校(北区)

 1945(昭和20)年の空襲は、学校にも被害をもたらした。

3月14日の空襲 全焼 天満 半焼 曽根崎
6月1日の空襲 全焼 豊崎 豊崎西 半焼 中津南 
6月7日の空襲 全焼 豊仁 北豊崎 半焼 松ヶ枝 中津南 大仁 浦江 梅田東 済美 
6月15日の空襲 半焼 松ヶ枝

 校舎が全焼した学校、鉄筋校舎だけが残った学校。校舎は残ったものの校区が焼き尽くされ子どもたちがいなくなり休校とされた学校。その結果、北区(戦争中は北区と大淀区)で、ここに紹介する学校が消えていった。

 松ヶ枝国民学校(旧北区)

  

 今は扇町総合高校になっている。6月7日の空襲で半焼。堀川校に統合された。

菅南国民学校(旧北区)

  

 空襲で校舎は焼けなかったが、地域が被害を受け、西天満小に統合され廃校。跡地は菅南中学校になる。都心の過疎化にともない、扇中と統合、天満中ははじめ扇町中の校舎を使っていたが、菅南中学校の土地に新校舎を建設、現在にいたる。

北野国民学校(旧北区)

 今は北税務署になっている。校舎は無事だったが、校区は壊滅。曽根崎小学校に統合され廃校。

天満国民学校(旧北区)

 与力町公園からトモノス北のあたりに天満国民学校があった。6月1日の空襲で全焼。菅北校に統合され、廃校。

豊崎西国民学校(旧大淀区)

  

 市営豊崎団地のあたりにあった。当時の正門付近に碑がひっそりと建てられている。6月1日の空襲で全焼した。豊崎本庄校に統合され廃校となる。隣の公園も戦後、復興事業として整備されたものである。

北豊崎国民学校(旧大淀区)

 6月7日の空襲で全焼した。豊崎本庄校へ統合され廃校。跡地は豊崎中学校。北側の武道館の前に6月7日の空襲による長柄橋の弾痕跡が保存されている。

大仁国民学校(旧大淀区)

 今の大淀中学校の場所である。6月7日の空襲で半焼。浦江校(現・大淀小)に統合され廃校。

心華国民学校(旧大淀区)

 長柄墓地の前にならぶ今の豊崎会館とそのとなりの建物が校舎であった。女子高等科単独の学校でもとは新華婦人会の設立、後に大阪市に移管された。卒業生は「ミシンがたくさんあって、家の縫い物もたくさんさせてもらった」という。空襲で地域が壊滅し豊崎東校へ統合され廃校。

参考にした図書
・「消えたわが母校 なにわの学校物語」 赤塚康雄著、柘植書房
・「続 消えたわが母校 なにわの学校物語」 赤塚康雄著、つげ書房新社


案内人 柏木 功

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