大阪市内で戦争平和を考える大阪市内で戦争平和を考える

生野区 巽に 高射砲陣地があった

  戦争中 生野区・巽公園とロート製薬のあたりに、高射砲陣地があった。いまはあとかたもないが、戦争がここにもあった。

 図の赤い点線の区画が高射砲陣地。赤い○は高射砲をおいた壕。高射砲6門と高射機関銃2門があった。

       

 

▽ 勝山通りから高射砲陣地のあったあたりを撮る

 

 淡路の高射砲陣地の場合はコンクリートでできた6角形の基台が6基あり、そのうち2基は民家として使われ現存している。生野区巽の場合は鶴見と同じく高射砲のまわりを土で囲んだ形のようだ。

  
聴音機と照空灯

 日本軍は米軍機の爆音を聞いて機種、高さ、速度を推定していた。米軍はレーダーを使っていた。

 高射砲1個中隊は、高射砲6門及び重機関銃2挺を装備する。照空1個中隊は照空灯6基、聴音機6基を装備する。大阪市史によれば巽におかれた高射砲は口径10cmのものだという。

 照空灯(サーチライト)でとらえたアメリカ軍の飛行機を聴音機で聞いた音で高さ、速度、進行方向を観測し、高射砲陣地に連絡する。高射砲陣地では砲の向き、高さ、何秒後に弾を爆発させるかを計算して弾を撃つ。(砲弾が飛行機の高さに20秒後に達するとすると、その間に飛行機が6000m移動している場合もある。B29の巨大さに低空を飛行していると誤認し、飛行機の下の方で爆発するように設定したという例もあるという。日本軍の高射砲の砲弾は時限信管といって何秒後に爆発させるか目盛りをあわせていた(現在、ピース大阪で展示中)。

 米軍の高射砲の砲弾はVT信管といって砲弾の頭に真空管を使ったレーダーが組み込まれていて、飛行機の近くを通過すると感知して爆発するようになっていた。このため日本機は撃ち落とされる確率が高かったという。)

 とはいえ、爆弾と燃料を満載したB29の搭乗員にとっては、サーチライトと対空砲火は恐怖であった


案内人 柏木 功

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