大阪市内で戦争平和を考える大阪市内で戦争平和を考える

空襲で消えた国民学校(福島区)

 1945(昭和20)年の空襲は、福島区の学校にも被害をもたらした。 

 6月1日の空襲では、全焼 西野田 半焼 玉川、新家、吉野
 6月7日の空襲では、全焼 上福島 半焼 海老江東

 西野田国民学校

 

 6月1日の空襲で全焼。高等科単独の学校であった。今の区役所・区民センター・消防署・江成公園のあたりが学校だった。

芦分国民学校

 

 芦分国民学校は空襲でなく、行政によって1942(昭和17)年に廃校にされた。大阪市は「中等学校入試難による弊害を除き、大東亜共栄圏建設の人材養成のために」国民学校を廃止して芦分高等家政女学校を新設した。保護者の反対にもかかわらず実施され、子ども達は野田国民学校(福島区)と西九条国民学校(此花区)に転校させられた(芦分校の地域は当時は此花区)。

 1944(昭和19)年、戦争遂行のための生産増強めざし、男子商業高校は工業高校へ転換を求められ、そのあとを埋めるために女子商業高校が新設された。芦分校も女子商業高校に転換された。「皇国産業の重要性を認識し、…報国の責任を果たす」ためであった。

 戦後は戦災者住宅に転用され、のち淀之水高等女学校が使用、現在は大阪市建設局西北工営所になっている。

 戦争に翻弄された学校であった。

 参考にした図書
 ・「消えたわが母校 なにわの学校物語」 赤塚康雄著、柘植書房
 ・「続 消えたわが母校 なにわの学校物語」 赤塚康雄著、つげ書房新社


案内人 柏木 功

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