大阪陸軍病院の跡(大手前病院)
旧大阪陸軍病院があった場所は、現在の国家公務員共済組合大手前病院と大阪歯科大病院の場所である。
1870(明治3)年、日本初の陸軍の病院として「大阪衞戍病院」が創設された。1936(昭和11)年に「大阪陸軍病院」と改称された。戦争の激化にともない、この病院だけでは対応できなくなり、日本赤十字社の日赤病院や阿武山分院を陸軍病院分院とし、その他にも分院を設置した。戦地からの還送患者はいったんこの病院に収容され、その後、各分院に転送された。堺市の金岡分院は収容患者5000名を超えるようになり、1945年、大手前を大阪第1陸軍病院、金岡を大阪第2陸軍病院と称するようになった。
大阪陸軍病院の正門石柱が大手前病院の構内に保存されていたが、今はない。「平成になって工事の時に撤去された」とは受付にいた職員の方の話。また一つ戦争遺跡が消えた。
案内人 柏木 功