大阪市内で戦争平和を考える大阪市内で戦争平和を考える

大阪府庁地下室

 戦前・戦時中には府庁に警察部があった。昔の新聞の縮刷版の「目次」を見るとよくわかるが、犯罪の項に「火付け」「強盗」とならんで「思想犯」というのがあった。戦争に反対する者を犯罪者として取り締まるのが警察の仕事だった。  
 また外国人も外国人というだけでスパイかもしれないとして取り締まりの対象となった。特別高等警察(特高)がその仕事をした。府庁地下室の窓に鉄格子(てつごうし)がはめられてあるのは、その警察が使っていた部屋だそうだ。
 府庁6階には特高の労働係もおかれ、1932年には検挙された全協労働者が取り調べ中に「飛び降り自殺」をしたと発表されたこともある。

 神戸華僑総会会長の林同春さんは、日本で呉服の行商を続けていた中国人が「敵国人」として扱われ、拷問(ごうもん)、監視が行われたことを証言している。

 「同様に連行された貴美の従兄弟の游振文さんは、突然目の前に国民党の黄色い宣伝ビラを突きつけられ、お前達が撒いたものだろうと決めつけられたという。いくら否定しても受け入れてもらえず、罪を認めるまで厳しい拷問にあわされるのだった。大阪府庁の地下室で18日ほど厳しい取り調べを受け、その後に阿倍野署に移されてからは腹と足をくくられて天井から吊され、「飛行機だ、飛行機だ」と手を叩いてはやされたという。」
    -林同春「華僑波瀾万丈私史 橋渡る人」 株式会社エピック刊 1997


案内人 柏木 功

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