大阪市内で戦争平和を考える大阪市内で戦争平和を考える

平和の塔  (戎橋→難波に移設)

 

 大阪ミナミ、道頓堀にかかる戎橋(えびすばし)の北詰めに「平和の塔」があった。このあたりは大阪大空襲で廃墟となった。ピース大阪では入ったところの床下に当時の模様が再現されている。戦後5年たった1950年に府民の寄付をもとに、平和の塔がつくられた。建てられた場所は、かつて大阪市の中心標があった大丸デパートの東南角。それで「心斎橋平和塔」と称された。道頓堀周辺の改修にあわせて撤去され、2009年10月、難波の高島屋前、女神の像のところに設置された。

  
台座のレリーフ(裏には銘板)

 繁華街のまん中の碑はゴミにうずもれ、落書きに汚されていた。難波高島屋前に移転した現在は銘板を読むことはできない。
 碑の銘板には次のように書かれている。

 戦争の惨禍に脅かされ 虐げられた私たちに 戦争を憎み 平和を愛好する
 世界が戦争の不幸をくりかえすことがあってはならぬ 私たちは人類のために 永遠の平和を祈念する
 世界平和に貢献するためには 平和国家を日本において打ちたてねばならぬ 私たちはこれを目指して たゆみない努力を続けている
 平和を愛し 祈念し 平和国家の建設に努める私たちの姿を表徴したいという大阪府民の熱望が 平和塔となって生まれた
 塔の型は府民の投票で決定され 建設場所には かつて 大阪市の中心標があり 私たちになじみ深いこの地がえらばれた
 建設基金は府民から寄せられた 平和を希求する熱誠が 塔を築きあげたのである
 昭和二十五年五月

提唱 大阪新聞社
協賛 大阪府 大阪市 大阪商工会議所
製作 モニユマン美術協会

(編集部注:旧字体は常用漢字に替えています)


 大阪新聞社は現在、産経新聞社の子会社となっており、「大阪新聞」は2001年3月31日付で休刊。産経新聞社は大阪新聞社の会社組織についても、「将来、産経新聞社と大阪新聞社が合併することも視野に入れて、今後協議を続ける」と発表している。


案内人 柏木 功

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